男女差の違いについて

人間関係

おはようございます。

静かな朝と言うか、物音ひとつない静寂の朝を迎えていますが、皆さんがいかがでしょうか?

パラパラと季節変わりの雨が降っている程度で、夜に道歩く人がやたらと声が大きいのが耳障りに感じる位で、コロナ禍で話さない、三密が避けるのが常識だったので、マスクを付けているから、声が大きくしないと聞こえないからなのか、ストレス発散で大きいのか、定かではありませんが、連れズレなるままに平穏な日々ではあるかなとは思います。

さて、本題の男女というカテゴリーで少し、執筆してみようかと思って、カタカタしています。

人は皆、同じで言いつつも、年齢も去ることながら、性別も大きな特徴の違いとして、あるのは周知の事実だし、読者もどちらかに属しているのだと思います。

男女共学が定着して、同性、異性、両方共に、接点を持ち、同僚であったり、友人であったり、知人であったり、地域の人だったり、親類だったりの範囲の中での交流をされているとは、思うのですが、男女間の間で決定的な違いというのが、勿論、体の事だったり、性質もありますが、古今東西出会いを仕掛けるのは基本的に男性の方からだというのがあるかなとは思います。

ま、バイセクシャルな時代と共にはあるにしても、男性の方がやはり積極的であり、アプローチして、女性が断ったり、成立したりする流れかなと。

だから、私はモテるからとか、モテないという事を世俗的に言いますが、実際モテたところで、ただ女性の集まる数が増えて、居心地いい部分もあるとは思うのですが、余計な注目が集まったりだとか、自分と全く関係ない人が増えて、嫉妬、やっかみも生じて、一面的にはいいと見えているだけで、実際そんなにいい話が舞い込んだり、いい扱いが待っているのかは言い切れないかなとは思います。

女性にしても、声を掛かる中からの限定した男性からの話だけで、以外に意中の男性という流れを生むのはかなり難しいでしょうし、少子高齢化が進み、晩婚化とシングルの人が増えている背景もありますが、適齢期に差し掛かり、折り合いをつけてと言うか、本当に相手に満足して婚姻しているのか、定かではない中で、婚姻し、またはしても離婚している人も増えているのかなとは考えます。

家族の為ならと踏ん張るお父さんが昭和の時代の日本男児の姿だったのかもしれませんが、多様化進み、思春期に差し掛かり、性欲、流行り、興味本位に進みだす恋愛も裏を返せば、まだ価値観が成熟していない中、好奇心から、かと言って、女性の場合は出産年齢もあるので、時期を急ぎ、人生の数年の中で、仕事などもある中でハードルが高い意中の男性というのが、何であるのか、男性観も育てられないまま、判断しないといけない現状を考えるとお互いに厳しい現状があるのかなとは思います。

仕事なら、範囲を絞って、条件の中で収益にして、業績を上げるというのがメインとしてありますが、例え条件、年齢を絞って、外見などを判断したところで、本人も去ることながら、親族との関係もありますし、相性も表面的にはみんな一緒にしか判断できない部分も蓋を開けてみると千差万別で全く、一概には言えない中で、該当者もそれでほんの一握り位しか見当たらないとなれば、永遠のパラドックスになってしまうので、全く困りもんです。

インスタで写真を見て、判断できるものならばいいですが、いざ対人となると厳密に精査して行くと、他の人と比べて、著しく優れていてこの人は良いと判断できるものがない他社依存の考えだと決めようがない話でもあります。

なので、最近の私のベースにある考えとして、散々女性の外見と中身のイメージは一致しない、また男女間の考えの違いを踏まえて、自分軸で精査して、表面的な部分はあてにしない、十分納得の行く話ならじゃないなら、妥協しない、相手の意向に呑まれないスタンスがベストだなと考える様になりましたね。

中途半端に妥協して合わないなら、乗らない、仮に時間が経過して、子供出来て、家族になったところで、どこでとん挫するかも知れない関係を維持するのもしんどいし、不安が払拭出来ない話であれば、関わらない方がお互いの為だという結論ですね。

私の女性観は厳しめかなとは思いますが、相手の事を意向を合わせるだけで、自分が空虚な感じだとそもそも成立させるべきではないと思います。

個人差、価値観の違いがありますが、特に男性の方で中々、思うように恋愛が上手くいかないと感じる方がいれば、一度自分自身に立ち返って、見つめてみるのも良いかもしれませんね。

それでは、今回はこの辺で see you next time!

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